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あいおい法律事務所
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中国残留日本人孤児国賠訴訟
戦前戦中、国策により「満州」(現在の中国東北部)に移民した日本人は、1945年8月以降、敗戦前後の混乱の中、苛酷な逃避行と極寒の地での収容所生活を余儀なくされました。そのような中で肉親と死に別れ、生き別れて、命をつなぐために中国人の養父母に引き取られた子ども達が「中国残留日本人孤児」です。

終戦後、日本の国は、中国の地に多くの残留孤児が取り残されていることを知りながら、その帰国に向けた施策を怠りました。1972年にようやく日中の国交が正常化した後も、国は残留孤児の帰国に向けた積極的な施策をとらず、逆に、帰国の条件として身元保証人を要求するなどして帰国を制限しました。さらに、1980年代から90年代になってようやく帰国できた残留孤児に対しても、国は必要な支援策を怠り続けました。幼い頃に中国の地に取り残された残留孤児の皆さんは日本語も十分に話すことはできません。それなのに十分な日本語教育もないままに「自立」を求められたのです。
中国の地では日本人として差別され、ようやく祖国日本に帰ってきても「中国人」といわれ差別を受ける。老後の生活に必要な年金も貯蓄もありません。

「私たちはなにじんですか?」
祖国日本に見捨てられ、奪われ続けてきた日本人としての人権、尊厳を回復したい。その思いで、全国の残留孤児が国賠訴訟に立ち上がりました。兵庫でも、65名の原告が裁判に立ち上がりました。
2006年12月1日、神戸地裁は、残留孤児の皆さんの苛酷な人生被害と正面から向き合い、憲法の観点から政府の責任を断罪するすばらしい原告勝訴判決を言い渡しました。

この原告勝訴判決を一つのきっかけに政府の支援策の見直しが図られ、不十分な形ではありましたが新たな支援策が策定されました。兵庫の原告の皆さんは、最後まで国の責任を認めさせ、政府の謝罪を勝ち取りたいと願っていましたが、支援策を実現する条件として訴訟は取り下げることとなりました。
当事務所では、宗藤弁護士が弁護団長をつとめ、判決当時、新人弁護士だった濱本弁護士が神戸地裁勝訴判決の旗出し役をつとめました。
なお、兵庫県内では、訴訟をきっかけに結成された市民の皆さんによる「中国残留日本人孤児を支援する兵庫の会」が、いまも県内各地で日本語教室や交流事業などを展開し、帰国者の皆さんとのつながりを深め、広げ続けてくださっています。弁護士としても、残る課題の解決にむけてともに歩んでいければと願っています。

なお、この記事は大槻倫子が執筆いたしました。