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あいおい法律事務所の弁護士によるブログです。
弁護士の日常やその時々の話題の話について綴っています。
2020-12-09 「三人の魔女」
 
 
弁護士 藤 原 精 吾

私の人生をゆたかにしてくれた三人の魔女の話をしたい。「魔女」といっても魔法を使ったり、恐ろしいことを起こすのではない。私に幸運を与えてくれた高齢の女性なので、「眠れる森の美女」の童話にならって、「魔女」の敬称を使うのである。
 第一の魔女はご存じ堀木フミ子さんである。堀木さんと出会ったのは1970(昭和45)年、堀木さんは50を過ぎたところで、年寄りとは云えないが、当時の私から見れば白髪で高齢のおばさんであった。出会いがあったのはやはり私が入った法律事務所が失対事業や生活保護者、在日朝鮮人、現場労働者などが頼りにできる弁護士の事務所だからだったと思う。師匠井藤誉志雄弁護士の歴史である。堀木訴訟は生まれて初めて社会保障、障害のある人との出会いをした事件であり、1982年の最高裁判決まで足かけ13年の年月があった。事件は簡単ではなく、また堀木さんも個性が強く何時裁判をやめると言い出すか心配するような人だった。しかし、堀木訴訟と出会ったからこそ、その後今まで50年間の弁護士生活を通じて障害のある人の人権事件、社会保障の運動がライフワークとなったのである。その意味で堀木さんは又とない贈り物をしてくれたのである。
第二の魔女は、神戸南京町に住んでいた台湾出身の華僑のSおばさんである。Sさんとは1980年頃、不動産の事件を頼まれて解決し、その後しばしば事務所に来て台湾土産を届てくれたり、食事をご馳走になったりした。1910年生まれ。Sさんは早くに夫と息子を亡くし、一人暮らしをしていたので、台湾の親戚や信仰していた宗教の団体に遺産を残す遺言を作成した。そのとき私の希望で、遺産の一部を障害者団体に遺贈することを書いてもらった。そして震災後1996年86歳で亡くなった。遺産の内1億円程度がその遺贈に宛てられた。これを遺言執行者である私が、いかり共同作業所の建設と障害者センターの立ち上げの費用に使うことができた。余禄として台湾の甥に遺産を渡すため、2度も台北に大名旅行し、故宮博物館や台湾料理を堪能することができた。両団体ともその後立派に活動を続けている。
第三の魔女は88歳のドイツ女性である。伊丹で修道女をされていた元小学校(母校・本山第一小学校)の先生に紹介され、伊丹の市民病院に生活保護で入院中のエリザベートさんの相談を受けた。1988年頃である。彼女は戦前に貿易商をしていた夫と知り合い、結婚して帰化し、日本に住んでいたが、夫も息子も先立ち、伊丹で孤独な生活をし、持病で入院生活を送っていた。修道女の先生は、「ドイツに帰りたい」といつも云っているエリザさんにドイツ語の出来る元教え子の弁護士が何とかしてあげられるのではないかと思いついた。そして、病院を訪ね、話すとエリザさんは「先生をしんじゅします(信頼します)」と云ってくれた。日本国籍になっていた彼女がドイツに帰るには、一定の資産が必要だったが、そのあてがなかった。ところが調べてみると、伊丹の家が亡くなった夫名義でその三分の二を彼女が相続していたのである。時は不動産バブルの最中、約1億で売れ、6千万円余が彼女の手に入った。ドイツに帰るメドができた。かくして、1989年11月9日、伊丹飛行場から彼女を連れてドイツ・ハンブルグに飛び立ち、深夜到着した。出迎えの甥が最初に口にしたのが「ベルリンの壁が落ちた!」であった。そしてハンブルグの老人施設に彼女が落ち着いた後、歴史的瞬間を見るべくベルリンに飛んだ。西ドイツから東ドイツに入り、ベルリンの壁のかけらを拾い、東ドイツからきた人たちと話しをした。エリザさんはこの歴史的瞬間に私を送ってくれ、ドイツ旅行と十分な報酬を与えてくれた。
 これが私の三人の魔女である。三人は全く別人で生まれも育ちも生活も別だ。偶然の出会いが私に又とない幸運をもたらした。考えると、3人とも神戸とは遠く離れたところの生まれである。Sさんは日本植民地時代の台湾、エリザさんはドイツ生まれ、堀木さんは日本ではあっても、海遠く離れたトカラ列島の生まれだ。弁護士の仕事をしていたからこそ3人との出会いがあった。その運命に感謝するほかない。
                                    ENDE